30 4月 2013

頭の片隅に。

昨日はすごくよい天気だったのに、急に天候が崩れて暴風雨になりました。最近自転車通学をしている私のテンションは急降下。でも、なぜかその時ふっと、何年か前にどっかで見かけたある言葉が頭に浮かびました。確かfecebookの友人の一人がシェアしてた画像にかかれていた言葉。

雨が降ってたら雨宿りをするんじゃなくて、外に出て歌を歌おうよ?だかなんだか。

格言の類いの言葉でしたが、どうしても思い出せない。facebookの友人も誰だったか…でも、なぜかこういうことって一回気になったらハッキリさせないとモヤモヤする損な性分な者で、無い頭をひねりにひねって、検索しまくりました。こんなことに1時間近くも費やした暇人な私…。

でも思い出そうとすればするほど、どんどん記憶がクリアになってくる感覚が面白かったので、blablaとブログに書くことにしました。

で、その言葉+画像がこちら。出元不明です。

Life isn't about waiting for the storm to pass, 
it's about learning to dance in the rain.


はーすっきり!\(* ̄∇ ̄*)/笑


話は飛んで、
自分は物事のポジティブな面にフォーカスをあてて考えていたいと常に心がけています。それでもどうしようもないことで悩んでしまうクセはまだ健在で。

今までの人生で出会った人の中でもおもっしろッ!って思う人たちから学んだことは、
「自分でどうにかできることなら悩んでも意味はあるけど、自分じゃどうしようもないことについて悩むのは時間と労力の無駄」ということ。

最近いろいろと悩んでいることを、久々に連絡をとったスーパーポジティブな友人に相談したら、上記と同じことを言われました。彼はハンガリー人の両親を持つ移民第2世代のスウェーデン人で、「そんなに愛してくれてありがとう」とこちらが感謝したくなるぐらいに日本や日本語に対する思いが溢れていて、日本語力もぴか一です。
両親は離婚されてて、一緒に暮らすお母さんは長い間体調が優れず失業手当で生活されているようですが、そんな金銭的に苦しい環境でも、大学へ進み奨学金を受けながら2回も日本へ留学し、今度は文科省が募集する招致研究生に応募するそうです。金銭的な家庭環境が子どもの教育の機会に影響しないという、スウェーデンが誇る福祉社会の功績の象徴のような彼ですが、それ以前にこの
「自分じゃどうしようもないことについて悩まない」というスタンスが彼を前に突き進ませたんだろうなと勝手に解釈しています。本当勝手に…

昔、父親に言われたことがあるな〜「悩まない人が結局は勝つ」と。

valborgsmässoafton。

つい最近、Påsk(イースター)を祝ったような気がするけれど、それからあっという間に1ヶ月が過ぎて今日4月30日はValborgsmässoafton(長い…)。Wikiによりますと、日本語ではヴァルプルギスの夜というそうですが、簡単にいうと、長かった冬の終わりと春の訪れをお祝いする日だそうです。

私 が暮らす街では、夜8時半から市内の広場で著名人の講話があったり、聖歌隊が合唱したり。そしてスカウトの子どもたちがトーチを持ち運びながら、この Valborgのメインでもあるたき火に、火を灯します。たき火がどのくらいの規模なのかわからないけれど、ちょっと大規模なとんどさんのイメージでしょう か。
そして9時40分から市内の湖で花火があげられます。9時40分て…それだけ日が長くなっているスウェーデンです。 もちろん私も友人知人と参戦予定。長い長い夜になりそうです。楽しみ〜

このValborg(ヴァルボリー)という名前は、1700年代に存在していたドイツの聖Walburgさん由来だそうです。かつては、暖かくなってくるこの時期に家畜の放牧が開始され、畜産業家はたき火をすることによって、家畜を狙う害獣対策を行っていたことがこのたき火の始まりだそうです。

 ちなみに今日は、スウェーデンの王様・カール16世グスタフの66歳のお誕生日でもあるので、街中に国旗が掲揚されていることでしょう。

PHOTO:王室公式HPより。
スウェーデンでは王様の誕生日は祝日ではないんですね。今日はSFIは自宅学習という名のお休みですが、パトは普通にお仕事です。明日5月1日は国民の祝日です!

ただ、ちょっとお天気が…怪しい。

視点。

ちょっと抽象的なことについて。

自身が見ている側面以外の観点から、物事を見たり考えたり、いわゆる「視点を変えて物事を捉える」ことは、少なくとも大学教育を受けてきた自分には備わっていなければならない最低限の事柄だと思うけど、これがなかなか難しい。この世に存在する物事で100%正しいものなんて何もない、すべての物事は善し悪しが表裏一体。

論理的で客観的な意見を述べること、いくら学校で勉強しても、いつ身に付くのか、そもそもそれが身に付いているのかも自分ではよくわからない。というか、わからない時点で客観視できていないじゃないですか。

客観的に物事を見ようと思って、いろんな人(方面)の意見を聞く。あーそういう見方もあるな、そう言われてみればそうだな、と自分の意見がころころ変わってしまう。この弱さ。

何十カ国出身の人たちと一緒にスウェーデン語を勉強している中で、この「視点を変えた見方」についてよく考えさせられる機会がある。それなりにいろんな視点から物事を見ようと思っている自分であっても、予想以上の角度の変化球でこられると、もう何が常識で何が普通で何がノームで、何が正しいのかわからなくなる。


と、こういった抽象的なことを言葉で表すのが苦手な私。(だから外国語も伸びないのよね^^;)

こんな話を知人にしたら、日本では若者の言語力の低下が問題になっているとかいないとか。ちょっと前に、現役小学校教諭の方が書かかれた小学生の日本語力に対する危機的状況…のような本を読んだけど、そこでは小学生の説明能力の無さだったり、表現力の低下、それに伴う「考える力」の低下など、散々な状況が書かれていたような気がします。

たった半年だけですが、小学校で小学生たちと過ごしてみて思ったのは、そりゃーおしゃべりな子もいれば無口な子もいるし、人前で話すことが得意な子もいれば、苦手な子もいる。それを個性といってしまえば簡単だけど、いくら無口な子でも、聞く側が質問でもすればしっかりと自分の話ができるのなら問題はない。
ただ、少なくとも周囲の友人たちを見てみるとやっぱり小さいときから家庭で会話があった人たちは、物事を話すのが上手だな〜と思う。難しい話だけではなくて、例えば昨日あった出来事なんかを、順序立てて(面白おかしく)話す友人と、私のように良く言ったら自然にのびのびと、悪く言ったらしっちゃかめっちゃかに話す友人と…

人様のことはおいといて、私自身この言語力の無さを、家庭での会話の少なさだったり、日本での教育のせいにするのは簡単だけど、もう自覚している分自分の努力で何とかしないとね^^;
まー自分が子どもを持ったときは、いろんな話ができる関係を築きたいと思います。

この問題に絡んで、移民の子ども達の話を少し。
大学時代に「母語を持たない子どもたち」という表現を聞いたことがあります。

多くの日系ブラジル人がDEKASEGIとして日本へやって来たのが90年代。自動車産業や電子機器産業が盛んな一定地域に集住する形になったのは周知の通り。私の大学時代のゼミの先生の言葉を借りると、「ドイツで深刻化するゲストアルバイターのような移民労働者は受入れたくない。でも安い労働力は必要…という見解のもと、政府の打ち出したウルトラCが、日系人へのビザ優遇措置。そしてそれが今は外国人”研修生”になった」と。はい、超左寄りな先生でした。

この日系人にまつわる問題は多々あるけれど、やっぱり被害者はいつも子ども。親は昼夜働き詰めで、なかなか家ではポルトガル語で深い会話をする機会がない子どもたち、また一方で日本社会との繋がりが希薄なため日本語も年相応に発達しない。そういった子が非行に走りやすいのは、まー想像に難くなく。これもうろ覚えですが、集住地域の少年院の半数は上記のバックグラウンドを有しているとかいないとか。
「母語をもたない子ども」がいかに深刻な問題なのか日に日に実感するようになりました。日常会話に問題が無くても、心の中にある感情だったり、自分の考えを的確に表現する形容詞等を知っているか知っていないかで、抽象的な固まりを頭の中で整理整頓できるかが決まってくるような気がします。義務教育時代に散々聞かされてきた「考える力」だって、考えることを表現する言語力が無ければ糠に釘。

ちなみにご多分に漏れずスウェーデンも超移民受入国ですが、三度の飯より子どもの権利を大事にするお国柄、移民の子どもが母語教育を受ける権利というものがあります。ただ、それを教える先生の数が足りないのが現実だとSFIの先生が言っていました。それに母語教育をする側にも正式な教職課程の履修を求めるなど、何だかかんだか制度が変わった?変わる?ようで、現在日本語母語教育に携わっている方の間でホットなトピックだそうです。
またこれも又聞きですが、この母語教育の成果が出たのが近年の中東での混乱が起きた時。スウェーデン語に加え、アラビア語やペルシャ語などの知識を持った移民第2世代のジャーナリストが大活躍だったそうです。

とりとめもない無いようだけど、最近の私の頭の中のblablaをこんなところで吐き出してみました。




06 4月 2013

påsk。

ついこの間、クリスマスの記事を書いたと思ったら、もうイースターの時期。スウェーデンでイースターはpåsk(ポスク)。クリスマスに次ぐ重要なお祭りです。
けど、いまいちその重要性がよくわからないことはここだけの話。

春分の日後の最初の満月の後の最初の日曜日がpåskの日。キリストが復活した日。
påskの日の前日、土曜日はたらふくご馳走(påskmat)を食べる。
その前日の金曜日は、キリストが十字架にかけられた日。長い金曜日(långfredagen)といわれ、家で大人しくする。大抵のお店は閉まっている。
その前日の木曜日は、skärtorsdag。子どもが魔女のような格好をして、お菓子をもらいに練り歩く。

通りに飾られたpåskris。

påskmat。真ん中の水仙はpåskのシンボル。
påsklilja。



卵、定番のニシン・サーモン、シーフードケーキ等。


また、påskにはラムも食べるということで、日曜日にはラム肉もいただきました。あー幸せでした。最近はどのお肉よりもラム肉がお気に入りです。なかなかお店では見かけませんが、ラムよりちょっとクセのあるマトンの方が好みかも。

と、イースター休暇の期間もパトの実家にお邪魔していたのですが、この休暇に併せて彼のお兄さん家族が引っ越しをするということで荷物運びのお手伝い。
お兄さん一家は、実家から「みそ汁が冷めない距離」に一軒家を購入。とりわけお兄さんの奥さんがものすごい地元ラブで、ずーっと地元暮らしで、幼なじみ達もご近所に滞在。幼なじみ達の子ども同士も同級生という、引いちゃうぐらいの地元志向で、スウェーデンと日本で、こういった似たような価値観って存在するんだな〜と改めて思いました。

一軒家を持つことがずっと夢だった彼女さん。すっごく幸せそうな彼女さんを見ると、私までホロリとしていました。どんなお家にコーディネートされるのか楽しみです。




05 4月 2013

言語を勉強するということ。

とか、大それたタイトルをつけてみましたが、約1ヶ月ぶりの更新になりました。
いろんなことがあったな〜っと。

その中でも一番の出来ことが、3月11日、奇しくも(?)東日本大震災の日に、私はSFI(移民のためのスウェーデン語学校)の、Cレベルのテストを受けたことです。

テストの内容は、リスニング、リーディング、ライティングの3部門。
普通はスピーキングも含まれますが、学校中がテスト週間だったこの週は、先生が手薄のためスピーキングのテストは無しに。その代わりに、各生徒の授業中の発言をもとに先生方が判断したそうです。なんて適当な…まー、CからDにクラスが代わるのは、SFIを卒業するためにテストを受けている人たちに比べたら、そこまで大きなこと&重要なことではないので仕方ないです。

緊張したわりに、内容は思ってたより簡単でした。この調子で、ちゃっちゃとDコースも終わらせたいです。

さてさて、現在のクラスは非常にこじんまりとしており、人数も8人ほど。インドネシア、中国、タイ、ウクライナ、ルーマニア、ドイツ、ロシアと出身国もばらばら。私が通うSFIのクラスは、自国で大学レベルの教育を受けた人&ある程度英語が理解できる人を対象にしているので、いくら国が違うとはいえ、何ていうか…度肝を抜かれるようなカルチャーショックなどはありません。


先週から放送された、「Svenska till varje pris (英:Swedish at any cost)」という番組。
スウェーデンにやってきた8人の移民が、共同生活を送りながら、8週間でSFI卒業を目指すというチャレンジ番組。参加者の一人の女の子、自国では教育を受けたことがないどころか、ペンの持ち方さえスウェーデンに来るまで知らなかった人が、ここスウェーデンで1から語学を学ぶことの大変さだったり、それ以上に、そういった人たちを、(意図的ではなくとも)毎年何万人も受入れて、ペンの持ち方や字の書き方から教える、スウェーデン語教育のストラテジーってどうなっているのでしょうか…本当尊敬。
そういった人たちに、所有各とか従属節とかを根気よく教えていく先生もすごい。いつか見学してみたいな、そういったクラス。

私もしっかり勉強しなければ!


2/14のバレンタインデーに、母国語で書いた「I love you」